2013年11月17日

ハイパー消費者によるライブ 〜デンパヘモットを行ってみた!

友人の知人が主催者ということで(遠い?)昨日は、安城のデンパークで行われたデンパヘモットに行ってきました。


夜の野外ライブということでかなり寒かったです。マフラー+コート+タイツでも寒いくらい...幸い風邪は引きませんでしたが...


ちなみに、参加して思ったのは、もはやライブはアーティストが作るのではないということ。これはいろいろな分野で言われていることですが、以前は”歌手の歌”というコンテンツが主体だったのが、客サイドの消費が主体に変わってきたということです。

コンテンツ主体→コンテクスト主体へ価値が移ってきたというのはライブに限らず様々な分野で行われてきています。ビジネス書は、もはや内容よりも著者の肩書だけで売っています(そうでない上質なものも少しだけありますが..)商品を売る時も「良い物を作れば売れる」という考え方はもはや過去のもので、「売れる物が良い物」です。マーケティングといわれるものも発信者主導のものから、口コミやソーシャルメディアを主戦場に移しつつあり。ブログは、内容よりも煽りのタイトル勝負になったりしています。


さて、前振りだけで終わってしまうといけないので、昨日の感想に移りますが...


ともかく良かった!素晴らしい!!


デンパークのかなり広い会場の割に参加者はおそらく300人くらい。ちょっと寂しい感じでした....が、始まってしばらくするとちっともそんなことはありませんでした。100人くらいでヲタ芸をする人たち(かなり壮観)、そしてなんかライトを持ってグルグル走ってる人たち(よく分からんが凄い)

「絶対、この曲知らないでしょ...」といった曲でもみんなでぴょんぴょん飛んだり、みんな走ったり。特にUltraPrismは抜群にノセるのが上手いので、みんな楽しそうでした。

「ライブは歌関係ないんだな〜」というのは前から思ってましたが、昨日のイベントに関してはさらに「歌ってる人も関係ないんじゃないか」と強く思いました。ライブを聞いていると、他人のカバーで固有名詞間違ってるところもありましたが、そんなのちっとも関係なく参加者のほとんどは楽しんでいました。

「別に誰が出てきても勝手に楽しんでますから」という上級者の参加者が多かったのもあり、もしくはその参加者内に共有されているヲタ芸というコードがあったこともあります。

そのために提供されたコンテンツ以上のライブになっていたんじゃないかと思います。もはやポスト・ポストモダン構造(w 


しかし、一方でそういったハイパー消費者によるライブでの限界も感じました。きっとこういった上級者限定のライブだと、主催者的に見ると大した人数を動員できないでしょう。(別に昨日のライブが上級者限定というわけではありませんが、消費のされ方は完全に上級者によるものだったと思います)

プロレスファンが興味のない団体の試合を楽しめないのと同様に、こういった消費者はニッチ化されてすぎていくので、コンテンツ→消費者に主体が移るのと同時に、どんどんとニッチ化されて分断されていき、動員数は稼げないので商業的な旨味は減っていくんだろうな〜、なんてことを思いました。

ともかく、ライブも面白かったのですが、ライブではしゃぐ観客を見るという貴重な体験が出来ただけでも良かったです。次回はぼくもライトを持って一緒にヲタ芸しよう!:->
posted by やまざきしんじ at 10:17| Comment(0) | 日記

2013年10月11日

似ているようで全然違うライフハッカーと自己啓発のあいだ

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ライフハッカーと自己啓発の思想は一見似ているようで、全然違います。
僕はライフハッカー的な考え方は好きなんですが、自己啓発には違和感を感じます。

実は、この違いは500年近く前からあった断絶なのかもしれません。

ご存知のようにライフハッカーというのは日常の全てを改善していく、簡便にしていくという思想です。冷蔵庫にゴミを捨てる曜日が貼ってあったり、玄関に「ガスの元栓、携帯電話、財布」と書いた紙が貼ってあったりする人もいるのではないでしょうか?

これを推し進めると、スケジュール管理をGoogleカレンダーで行って仕事や家族もGoogleカレンダーでスケジュールを同期したり、Todoリストを共有したりしはじめます。知人でも、玄関にスポーツクラブに行くセットを一式置いてる人がいますが、これもすぐにスポーツクラブに行けるためのコツでしょうか。このような日常のちょっとした工夫を積み重ねていくというのがライフハッカーの思想です。


一方で、自己啓発は、いろいろな考え方がありますが、根本的な思想としては、「人の能力はそのままでいい」というものです。「あなたには隠された力がある」、「信じれば叶う」という思想が自己啓発の基本になります。

こう見ると「あれ?今のままでいいの?全然、啓発=向上じゃないじゃん」というツッコミが待っていそうですが、自己啓発とはスキルの向上というよりも精神的な向上を指しています。精神レベルの向上が自己啓発のポイントなんです。
そのため、スキルの向上といったものは、自己啓発の対象外です。むしろ、「そのままでいい、あとは気持ちとか精神的なもの」といった精神の高揚のみを持ち上げます。


この2つは、実はプロテスタンティズムの精神と言われる自己修養(精神的なものに限らず世俗的なものに対するものも)といった見方と、世俗的なものに背を向けるカトリシズムにぴったり一致します。そもそも、自己啓発は、アメリカから輸入されたもので、その自己啓発とは自己啓発セミナーから来て、それがニューエイジ思想を源流としています。
そして、ニューエイジ思想は「過度に物質的なものに進んでいく」ことに対するカソリシズムの反動から来ているのです。ここまで来ると、実は、この断絶はプロテスタントとカトリックの断絶という500年近く前からあることが分かるでしょう。

少し脇道にそれてきました。

ライフハック→人間は向上できるとする人間中心的な思想
自己啓発→人間は神によって作られた。精神的な向上によってその力を使えるようになるという思想

といった区分けでしょうか。

ちなみに自己啓発には、20世紀初頭からの思想のブームである「答えは人それぞれ」という思想も含んでいます。これは「そのままでいいんだよ」と同様にとても耳障りのいい言葉なので信じたくなってしまいます。自己啓発はもともとはセミナー屋の商売がベースになっているので、相手が望むようなことを多く語るというのは当たり前かもしれませんね。


(Flickrのrickzさんの写真を使用しました)
posted by やまざきしんじ at 07:31| Comment(0) | 日記

2013年10月02日

10月のKindleセールは良著がいろいろありましたので勝手にオススメ

10月のKindleセール本がなかなかいい本があったので、僕が既読の本で良かったものだけピックアップしてみます。



僕の本のブログでは以前大絶賛してたんですが、かなり面白い経営戦略の本です。ビジネス書好きなら絶対読んで欲しい一冊です!!
著者のマーク・ジョンソンはクレイトン・クリステンセンと共同で会社をやっていて、「イノベーションへの解」の共同執筆者でもあります。私がクリステンセン好きなこともありますが、そんな背景は別にしてもヒントにあふれた本だと思いました。




実際に事業をやっている人や、小さな会社で仕事をしている人が”使いやすい”ビジネス書はこちらです。今風のビジネスがどうやって起こせるのかということが分かります。というと、「今風の軽薄で、インターネット系の...」と思うかもしれませんが、むしろインターネットという強力な武器のある時代ならではの考え方が分かります。
「大きな仮説→時間をかけて作る→リリース→結果」といった客がいるかどうか分かるまで1年間と大きな投資をかけてみたいなモデルでなく、「まずやってみて、ちょっと売ってみて」といったモデルが適切なんです。この話は友人によく話すんですが、なかなか理解されないことも多いです。




以前、僕のやってる読書会の合宿で取り上げた一冊です。タイトルを見ると何やら電子書籍や紙の本に見えますが、実際には二人のビブリオマニアの対談です。稀覯本(昔の本などのレア本)のコレクターでもある二人が、古い紙の本の虫喰いの話とかそんな結構くだらない話をするのですが、「ともかく本はいいな」というメッセージと、「さて、もっと本読もうか」という気持ちになることは間違いないです。




「ワーク・シフト」とか「フラット化する世界」とかを読んでいるとテクノロジーを甘く見過ぎだろ、と思うことがしばしばあります。コンピュータ性能のアップは10年で100倍だとすると20年後は200倍でなく、10000倍な訳です。そんな未来を少し見てみませんか?

posted by やまざきしんじ at 20:29| Comment(0) | 日記

2013年09月30日

職場で自らを成長させる6つの方法


日本でも仕事の余力はどんどんとなくなってきています。10年前なら5人でやっていた業務を3人で、また4人で回っていた営業エリアを2人で回って、しかも物の売れない時代に同じだけの利益を上げることを要求されています。

これは、毎日の仕事に追われて、自分自信の成長のために行うことをする余力がないことも意味しています。外部研修に行く時間や予算がないだけでなく、日々の業務に追われて社内で新しいことにチャレンジをするだけの余力がなくなってはいないでしょうか?

今回はアメリカのハーバード・ビジネス・レビューのHBR Blog Networkの"Six Ways to Grow Your Job"という記事を元に、自らを成長させる6つの方法について見て行きましょう。


1.用心深いままでいて、環境に適応する
自分の成長のチャンスを作るためには仕事の環境を知らなければいけません。誰がキーマンで、どこに予算があるのか?社内の別の部署の人とランチを食べたりといったことも大事なことです。

2.スケジュールに余力を持たせる
ルーチンワークに追われているからといって、それが会社や自分の業績に結びつくわけではありません。ご存知のように良い結果は頑張ったから得られるのでなく、良い結果は正しいことを正しくやったから得られるのです。スケジュールに余力を持たせて、ルーチンワーク外の”やるべきこと”を見付けることは大事なことです。

3.自分の得意領域の外のプロジェクトに参加する
自分の仕事のライン以外で参加できるプロジェクトがあったら参加しましょう。普段なら自分が呼ばれることがないプロジェクトへの参画は、自らの業務を考えなおし、自分の仕事を再定義するよいきっかけになります。

4.自分の職位がなんであろうと、職務の戦略を作る
多くの人は自分のキャリア戦略を立てますが、実際にはあまり実行できていません。戦略は、「どうやって?」という問いでなく、「何を?」という問いなのです。普段から、「どうやってこの問題を解決するのか?」でなく、「どの問題を解決するのが良いのか?」を考えるようにしましょう。

5.外部の貢献を考える
もし、社内で新しい企画もプロジェクトもないならば、外部に目を向けることも出来ます。外部の専門家と会ったり、ブログで情報発信をしたり、講演をすることなどで、自分のスキルを磨いたり、新しいスキルを学ぶことが出来ます。

6.他人に任せることを覚える
昇進する人とそうでない人を分けるのは、他人に仕事を任せられるかどうかです。他人にルーチンワークを任せ、そして、それ以外の仕事を任せることを覚えましょう。

(超訳ぎみなので、原義が知りたい人は元記事をどうぞ)
posted by やまざきしんじ at 10:50| Comment(0) | 日記

2013年09月29日

ライフハック研究会に参加してきました。

今日は名古屋ライフハック研究会に参加してきました。

テーマは「質問力」。普段からプライベート面では、家族に質問力の低さ(質問が思いつかない、相手は話したいネタなのに話に乗らない、質問していいかどうか分からない)といった指摘を度々受けています。加えて、先日も仕事でインタビューをしたのですが、引き出す能力の低さを痛感したというのもあります。

ライフハック研究会は、ワーク中心でそれぞれの質問を行うというものです。以前、ファシリテーションの勉強会で行ったものを思い出しましたが、実地をしてみんなで振り返りといった形式です。普段はボンヤリ過ごしてしまうことを、お互いにフィードバックをすることで気づくことができるというのは面白いですよね。

自分も、最近は他人との会話を録音して聞き直すということもしているのですが、やはり自分の視野からしか見えませんもんね ^^;;


また、今回も厚顔にもLT(ライトニングトーク)をしてきました。あまり練習をしていなかったのでドキドキしていましたが、経験値が少し増えてきたのでいつもよりも”あがり”は少なかったです。(ちなみに、某誌の次回のテーマは”あがり”だったりします)内容はいろんなところで話している、「大きなプラン」vs「ローコストな種まき重視」というお話です。「大戦略→戦略→作戦→戦術」というクラウゼヴィッツ的モデル(コンピュータ屋にはウォーターフォールモデル)よりも、OODAループを回しましょう(コンピュータ屋にはRAD開発)というお話でした。ちっとも質問力関係ないけど...


他の方のLTで気になったのは、kakoさんのLTでした。主催者側なので、「質問力」がテーマのLTだったのですが、「過去、現在、未来」という質問の視点は面白かったです。実は読書会でいろんな本について議論をしていると、よくこの3つのキーワードにあたります。

それもあって二会は”我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか”というゴーギャンの絵のタイトルとして有名な言葉(実際にはゾロアスター教発ネオプラトニズム経由だったはず)をキャッチコピーにしています。

今回のグループワークの中でも「質問にはズームイン、ズームアウトのためのキーワードのパターンがあるなー」とおもったのですが、やっぱり体系的な質問のテクニックがありそうです。


ちなみに今回は午前開催だったのですが、午前開催は参加しやすくていいですね!!午後からはちゃんと子守しました:-D
posted by やまざきしんじ at 19:52| Comment(0) | 日記

2013年09月19日

誤学習リスト

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子どもが間違って覚えている言葉リスト、最近版

ぴーまつ →ピーマン
ぴあご →ピアノ (スーパーのピアゴと間違えてる)
でっき →ギター (おかあさんといっしょに出てくるキャラクターが、デッキブラシをギターっぽくして歌ってるから)

最近は、鳥のことを、ひとりということはなくなったと思います。

あともう一つくらいなんかあったはずですが、なんだっけなぁ...


posted by やまざきしんじ at 18:14| Comment(0) | こども

2013年09月13日

交互に足を出して階段を降りる

先週くらいから、足を交互に出して階段を降りることがあります。手をつないで階段を降りるとたまにやります。
しかもいつの間にか階段を見ないでやってる...ちょっとこわい。

最近もめっきりYoutubeブームですが、洗髪を嫌がらなくなったのでちょっぴり楽になりました:-D あと、先週は保育園のプールの影響か、お風呂で顔をお湯につける練習をしてました。意外と泣かないのね(って、自分からやってるからそりゃそうか)
posted by やまざきしんじ at 21:36| Comment(0) | こども

2013年09月03日

ジェンダーバイアス

3歳の娘は、ここ2ヶ月くらいは、「女の子」であるということをかなり意識しています。先日もマクドナルドでハッピーセットをもらおうとしたら、気になっている(ぼくも!)な「仮面ライダーウィザード」でなく、さわこがまったく興味のないはずの「スマーフ」のおもちゃをもらってました。

「さわちゃんは女の子だからスマーフ」だそうです...「女の子だから」って危険な感じがします。よくジェンダーバイアスのネガティブな要因が話題になりますが、もう影響を受けているんですね...今回も仮面ライダーウィザードのおもちゃの方をもらうのが、合理的だ!!
posted by やまざきしんじ at 05:49| Comment(0) | こども

2013年08月20日

男女脳は科学に見せかけた、ステレオタイプの再生産

昨日、本屋に寄ったらプレジデントが売ってました。


特集が「女の脳と男の脳はどこが違うか?」...

普段はスルーの僕もさすがに抑えきれずにチェックです。タイトルがヤバイ、ヤバすぎる...
黒川なんとか、なんとかピーズとかが記事書いてたらどうしよう...


※黒川なんとかは、脳科学を專門にする方らしい(自称)で、男女脳が云々という本をたくさん書かれています。
※なんとかピーズは、著者紹介によるとコミュニケーションの専門家らしいです。嘘について調べてる時に「本音は顔に書いてある」という本を読んだのですが、あまりのデタラメっぷりに怒りを通り越した記憶があります。(もちろん正しいこと*も*載ってますが...)



でも雑誌には、最初に「基本として、男女で脳の差はありません」といった一文があったので、一安心しました。

この男女脳については、「脳梁が云々」と自称脳科学者がテキトーなことを言ったり、「昔は男性は狩りをしていたので...」というその後にどんなテキトーなことでも言えちゃう魔法の弾丸だけでオレ理論を語っちゃう人たちがいるので要注意です。

#ちなみに(自称)脳科学者の多くがちっとも脳の研究者じゃないっていう謎...まぁ、名乗るのはタダだからな..そして、「昔は男性は狩りをしてたので...」は理由の説明には(百歩譲って)いいけど、現象の説明のためにはアンケートなどの定量的なものを持ってこないとダメだろ..と。どこの古代哲学だよ(悪い意味で)


ところで、この雑誌、多くは別に脳に関係なく、「男性はこうです、女性はこうです」といったことが載っていたわけです。そして、これらの多くが実は脳の生得的な傾向でなく、単なるジェンダー・ステレオタイプ(男性はこうである、女性はこうであるというステレオタイプ的な見方)に依存しているだけじゃないか、と思えて仕方ありません。


#ジェンダー・ステレオタイプの実験として有名なのは、数学の試験の前に「男性は数学ができる、女性は数学ができない」といったステレオタイプのある地域で、性別を意識させてからテストすると女性はより数学ができなくなるといったもの。


実は、「基本的には脳は男女の差はありません」(←もちろん全くないわけじゃないけど、多くのデタラメ専門家が言うほどにはない)と言いながら、様々な記事でジェンダー・ステレオタイプを再生産しているだけな気がして微妙な気持ちになりました...

posted by やまざきしんじ at 06:56| Comment(2) | 日記

2013年08月17日

読書についてのわずかな考察

お盆の読書はほとんどファンタジー小説を読んでました。ページ数だけなら約1500ページくらいでしょうか。実はポパーの「推測と反駁」という700ページくらいの本を読むつもりだったのですが、100ページくらいしか進んでません..^^;;

これは、主な原因の一つとして子供の相手をしながらだとファンタジー小説は読めるけど、哲学書は読めないということです。


哲学書はしっかりと一つづつ考えながら読まないといけない(場合によっては、紙と鉛筆で図示しないと読めない)のに対して、小説はそのままサクサク読めるからです。そういえば実家にはボルヘスの小説と長谷川宏の本が置いてあるんですが、子供がいる時は小説しか読めません。


現在、スタノビッチとウェストのシステム1・2の話を読んでいてその影響を受けているためか、哲学書は完全にシステム2的な(つまり分析的、理論的に)読書ですが、小説はシステム1的な(情緒的、直感的な)読書だからでしょうか?もしくは、子供の相手をある程度しながらだと、そこに認知資源を取られてしまうため、哲学書は読めないのでしょうか。


そういえば、速読をする場合には、このようなシステム1で読まないといけないと思いますが、それゆえに(まともな)哲学書は速読できません。(もちろん知ってあることが書いてある本ならできるけど..) もっとも、この件は速読教師は否定するかもしれませんが..(もっとも豊かな読書経験をしている速読教師は滅多にいないのでほとんどの人の言明は無視できますし、まともな速読教師は同意してくれるでしょう、おそらく)

実は、この件を考えながら、なんとか子供の相手をしながら重い本を読む方法を考えようと思っていたのですが、よくよく考えると無理そうです。やっぱり認知資源をそこに使ってしまっているのではないかと思います。そう考えると、子守用に小説をいくつか用意しておくというのが正解な気がしてきました。もしくはあまり頭を使わない作業に近いような仕事をするか...
posted by やまざきしんじ at 09:35| Comment(0) | 日記