とかいうレトリックは人気ありますよね。一見大したことない積み重さねが後々で大きな差になります、ということが言いたいんですよね。
そういえばいいじゃん!
そんなわけで、
一見大したことない積み重さねが後々で大きな差になります
はい。終了。
毎日1%向上させることが出来る自己ってどんだけペラペラなんだよ。生後1歳かっちゅうの、って誰か突っ込んでまわってください^^;;
2014年11月21日
毎日1%向上させると1年で...
posted by やまざきしんじ at 08:00| Comment(0)
| 日記
2014年04月14日
キツネとハリネズミと100のやること
知人が100のやりたいことを書き出していました。たしかに毎年、やりたいこと100個書き出す友人も多いし、いろいろなところで推奨されていることです。
一方、...僕はやりません。もし、リストアップするならやりたいことは100個でなく、1個であるべきでしょう。
キツネは多くの小さなことを知っている、
ハリネズミは一つの大きなことを知っている、
と言われます。実際に100個のやりたいことよりも1個のやりたいことの方が、効果が大きいはずです。
それならば、100個のやりたいことでなく、100個のやらないことをリストアップするべきではないでしょうか?(←今、思いついたので実践してない)
100個のやらないことリストを作って、1個のやるべきことに集中する、そちらの方が結果につながるはずです。
た、だ、し、これにはひとつ罠があります。
仕事でなく、プライベートの場合は、やりたいことは単にやればいいということでもあります。プライベートのやることの目的が”息抜き”だとするならば、一つの大きなことをやるよりも、たくさんの小さなことをする方が幸福感が高まりやすいです。
これは、人は馴化(じゅんか)といって、要はすぐ慣れる動物だからです。そのために、1つの大きなことをやってもすぐ慣れてしまうのに対して、たくさんの小さなことをやれば幸福感が続くのです。
ところで、100個のやりたいことリストは何のために作るものでしょうか?
こういうものを作ることで、やりたいことをいろいろ出してもっと達成するため?
日常を見つめ返し、意外とやりたいことを確認するため?
後者のやりたいことリストならば僕も作ってみたいです。
・朝5時に起きて、一人でサッカー見ながら仕事したりする
・自分の書いたブログを知人に「面白いよって言ってもらう」
・自分の読書会に新しい人が来る
...
うう、書いてるとやりたいことよりも、起こると嬉しいなリストになってきました。
でも、これはリストを事前に作らなくても毎日の中から摘み取れるものですね。きっちりと日常の中を見つめさえすればいいと思います。
Carpe diem!
写真はWillButron2さんのものを使用しています。
posted by やまざきしんじ at 07:29| Comment(0)
| 日記
2014年03月01日
名古屋ライフハック研究会に参加してきました
今日は名古屋ライフハック研究会に参加して来ました。
内容は「流される人生をやめ、本当にやりたいことをスタートしよう!」です。
ちなみに私は、「ミッション」とか「人生の目的」とか全くどうでもいいと思っています。そういうのは、ニューソート→ニューエイジ→自己啓発の流れで、僕は「あるがまま」で「自分の目的」や「ミッション」なんて不要と基本的に考えていました。
目の前のタスクの優先度を決めたり、仕事の1年単位くらいでのやることを決めるのは好きでそれなりにやっていますが、「10年後に何をする」とか「自分が死ぬ時にどのように覚えられたいか?」なんていうことは1ミリも考えていません。「死ぬこと」に意義を見出そうとはちっとも思っていないし、「人生とはそういうものだ」と思っているからです。(←この辺、ギリシア哲学(含むストア派)の影響が大きいです)
そんな訳で、「本当にやりたいこと」や「ミッション」といった考え方は、まったく自分の思想や信念と反するのですが、それだからこそ面白いかと思って参加してみました。基本的に、自分を否定するような情報を得ることは好きなので...^^;;;
今日の内容はほとんどが個人ワークで、ひたすらウンウン考えて書いてくものです。自分のこれまでのことをいろいろと書き出して、これからの目的を考えて、それをブレイクダウンするといったところでしょうか。書いてしまうと簡単ですが、これを2時間以上かけて行いました。ずっといろいろと考えていたので、かなり疲れました。自分なりにワークシートを埋めるのですがその背景とか、その結果とかを書き込みながら書いてるとどんどんと時間が過ぎていきます。
個人的には自分の過去を振り返ることで、未来の目的を考えることが出来るという考えは全く違うと思っています。これは、過去は分析することしかできないが、いくら過去を分析しても未来の目的という「自分の意思」は出てこないからと考えているからです。未来は分析して与えられるものでなく、自分の積極的な意思、もしくは「判断」のはずです。
そんな訳で過去について考えることについては、ワークは面白かったものの、むしろ自分の過去の再確認をしたといったところでしょうか。「ミッション」や「人生の目的」には貢献しませんが、自分の今の考え方のクセや価値観の背景を俯瞰するための材料といった感じです。
過去と違って未来については、自分で決めることです。そのため、しっかり時間をとって考えてみるのは最高の時間でした。長い先(例えば「死ぬ時にどう思われたいか」)はあるかないか分かりませんが、今の自分の優先順を再考するには最高の機会になりました。
また、今回はLT(ライトニング・トーク、参加者が5分間で行う短いプレゼン)の参加希望者がほとんどいなかったということで、お願いしてやらせてもらいました(←結局いつもLTしてる)
今回のタイトルは「細かすぎて伝わらない心理学」ということで、「ビリヤードにおける練習法」を心理学の研究から説明させていただきました:->
なお、次回は6/1(日)に開催とのことでした。また、参加できるといいなぁ...
posted by やまざきしんじ at 22:52| Comment(2)
| 日記
2014年01月27日
起業したい人が考慮すべき2つのこと
たまに起業しようとしている人の相談に乗ることがあります。この時に考える2つのポイントを書いてみます。
まずは、「相手がそれを買うかどうか」です。よくあるダメパターンは「これは良い物だから、これは良いサービスだから、売れる」というものです。
特に自分のサービスに思い入れがあるとそれを高く評価してしまいがちです。
例えば、営業で苦労した人は、「営業教育サービス」は売れると判断するかもしれませんし、自分にとっては10万円以上の価値があると思うかもしれませんが、個人向けの「営業教育サービス」が5万円で売れるかというと、それは難しい気がします。
もちろん、それがすごくいいもので、しかも教育を受ける前でもその良さが分かるほどのものならば売れるかもしれません。でも、そんなサービスは滅多にないでしょう。
次にポイントなのは、競合の存在です。競合が多いものは当然難しいでしょう。
もし、「フラワーアレンジメント教室」で起業しようとする人がいたら、「趣味ならいいけど、それで食うのは無理」とアドバイスします。
こんな直球の人は少ないかもしれませんが、「うちはフラワーアレンジメントでなくて、フラワーセラピーを組み合わせた新しいものだから」とか「私は**流の師範の資格も持っているから、他の人と違う」といったように、他人から見たら大して違いがない差別化ポイントを主張したりしてます。
もちろん、フラワーアレンジメントでも食っていくことはできるでしょう。でも、参入障壁が非常に低いし、既にやっている人が多いので、相当工夫をしないと難しいことは容易に想像できると思います。
ここまで読むと、「じゃあ何をすればいいんだ?」となるかもしれません。
でも、客がお金を出したくなる課題はたくさんあります。
病気の子供を預かってもらうサービス、車庫入れが上手くなる商品、特定の分野の論文をすぐに調べてまとめてくれるサービスは僕の課題を解決してくれますから、一定のお金を出します。
競合との差別化を考える場合は、自分の扱っている商品やサービスに大しての知識が多いために、大した違いがなくともそれを過大評価しがちです。
解決する課題を変えるか、もしくは課題を持っている人(≒売る相手)を変えるのかを考えていくことで、競合との差別化はできるはずです。
そういえば、よく企業買収の際にある間違いで「俺の方がもっと上手く経営できるぜ症候群」というのがあります。起業の際にも、上の病気を発症してしまい、競合とまったく同じことをしてしまうのです。
競合と同じことをして、戦術レベルで(やり方で)違いを出すのは難しいです。もちろん大事なことですが、最初からそこを狙っていくのは筋が悪いです。
こうやって考えると起業を考える人に必要なのは、2つのポイントでなく「アイデアの力は無限」ということを信じているかどうかかもしれません。何をやるかをどれだけ考え続けられるのかだと思います。
posted by やまざきしんじ at 09:05| Comment(0)
| 日記
2014年01月15日
たのしいちから
やりたくないことだけどやらないといけないことはいろいろある。
また、日頃やってるけどつまらないことってたくさんある。
この解決策として、可視化はいい手と最近よく思う。まず、既になくしてしまったけど、去年、FtiBitという万歩計は衝撃的だった。ただの万歩計で、パソコンと同期して毎日の歩いた歩数が出てるだけなんだけど、歩数が出ることで歩くことが楽しくなった。
ちょっと買い物があったときにでも「あ、コンビニに買いに行ってくるよー」と、歩数を稼ぐために、思わず歩きにいきたくなる。
これまでなら、アパートの階段を登り降りするのが面倒で、コンビニ行くのも面倒だったのに、歩数を稼ぐために、ちょっとしたことでもコンビニや外に行くのも楽しくなった。
実は1週間くらいで、FitBitを落としてしまったんだけど...ストラップをつけておいて、毎回ベルトループにつけておけばよかったと思ったのは後の祭り。
実は、先日、新しくドルツのジェットウォッシャーというのを買った。これが超秀逸。要は水で口の中を洗うフロスみたいなものを想像して欲しい。
上のリンクのカスタマーレビューの数と評価を見れば、おおよそわかると思うけど...
で、これがまた楽しい。
「歯磨きをしてから使う」のが標準的な使い方なようだけど、実は歯磨きの前にジェットウォッシャーするのが楽しい。シャーっと、口の中の細かい汚れが洗面所にいっぱい出てくる。まだ慣れてないから、洗面所がビタビタになるけど、そのビタビタになった洗面所に口の中のゴミが出てくる。
実は歯磨きをしても、このゴミの大半は流れると思うんだけど、歯ブラシと違って、ジェットウォッシャーの場合は、きちんと洗面所に散らばるのがポイント。見てて楽しい。
見てて楽しいとどうなるかというと、ともかく歯を磨きたくなる。洗面所に散らばったカスを見て、
「うわーっ、口の中綺麗になってるー」
と感激したいのだ。
よく考えると、このジェットウォッシャーもFitBitも同じだ。つまらないことでも、見えるようになるとそれだけで楽しくなってくる。
禅には「日常自体が修行」といった考え方があるが、こういった見えるようにしていくこととつながっているのかもしれない。
posted by やまざきしんじ at 06:54| Comment(0)
| 日記
2014年01月01日
新年あけましておめでとうございます。
新年あけましておめでとうございます。昨年はいろいろな方にお世話になり、
また、多くの方と新しくお会いすることができました。
今年も、変わらずご縁いただけると有難いです _o_
新年なので、私自身の昨年の振り返りと、今年の目標をちらっと見てみます。
2013年振り返り
◎塾の仕事系
単著の本は未出版。原稿がぁぁぁぁ。
と言いつつ、共著の本はいつの間にか一冊出てた。
塾のお客さん数はほぼ目標クリア。合格も結構してくれた..かな?
◎その他の仕事系
雑誌の連載はじまった。結局、今は毎号5ページだ。あと、連載以外の記事も書いてみた。
初めて補助金申請を書いた。意外と大変だったけど、商工会議所の方に超お世話になって出来た。
楽しげなSE仕事中。これは先が楽しみ。
◎趣味系
ビリヤードを復活中(Aを名乗ってるけど実際はB上程度の腕)
読書会は無事丸5年を突破。目標の40年と1000冊の課題本までの1/8をクリア。
5年もやると読む本なくなっちゃうと思ってたけど、やればやるほど読みたい本が増える..
2014年
◎塾の仕事系
本の最後の校正がんばる。
新分野へ進出(って、僕はあんまり関係ないけど)
◎その他の仕事系
新プロジェクト開始(これは僕が頑張る)
◎趣味系
ビリヤードでA級に戻る。
もうちょっとプログラミングする。流体シミュレーションとか、そのまま放置してるし...
あと、コーパス系とRも少し触りたい..
少し忙しくなって放置してたので、また集まりをしよう..
また、多くの方と新しくお会いすることができました。
今年も、変わらずご縁いただけると有難いです _o_
新年なので、私自身の昨年の振り返りと、今年の目標をちらっと見てみます。
2013年振り返り
◎塾の仕事系
単著の本は未出版。原稿がぁぁぁぁ。
と言いつつ、共著の本はいつの間にか一冊出てた。
塾のお客さん数はほぼ目標クリア。合格も結構してくれた..かな?
◎その他の仕事系
雑誌の連載はじまった。結局、今は毎号5ページだ。あと、連載以外の記事も書いてみた。
初めて補助金申請を書いた。意外と大変だったけど、商工会議所の方に超お世話になって出来た。
楽しげなSE仕事中。これは先が楽しみ。
◎趣味系
ビリヤードを復活中(Aを名乗ってるけど実際はB上程度の腕)
読書会は無事丸5年を突破。目標の40年と1000冊の課題本までの1/8をクリア。
5年もやると読む本なくなっちゃうと思ってたけど、やればやるほど読みたい本が増える..
2014年
◎塾の仕事系
本の最後の校正がんばる。
新分野へ進出(って、僕はあんまり関係ないけど)
◎その他の仕事系
新プロジェクト開始(これは僕が頑張る)
◎趣味系
ビリヤードでA級に戻る。
もうちょっとプログラミングする。流体シミュレーションとか、そのまま放置してるし...
あと、コーパス系とRも少し触りたい..
少し忙しくなって放置してたので、また集まりをしよう..
posted by やまざきしんじ at 07:54| Comment(0)
| 日記
2013年12月30日
自分カレンダー的なものを逆に考えてみた
年末恒例のFacebookでの変なアプリブームが起こってますが、今年は自分新聞というのが流行ってるみたいですね。
これを使うためには、omiaiとかいう出会い系(?)アプリにイイね!をしないといけないようです。
もちろん、Facebookに慣れている人は、右側の広告面に友人が「いいね!」をしていますという宣伝があっても無視することでしょう。
でも、慣れていない人は思わずクリックしまうかもしれません。
そんな訳で、この手のアプリを使う時には、すぐにイイね!を外す(アプリページを表示して、イイね!を取り消す)ということや、場合によっては自分のウォールへの書き込みの際に公開範囲を自分のみにして内容を確認してから公開範囲を変えるといったことが大事なはずです。
逆に考えると、Facebookをしている人は、omiaiのFacebookページを開いてイイね!をしている友人をチェックすることで、「ワキの甘い」人を見つけることが出来るはずです。
と、思って見てみました...
意外といっぱいいた...
SNS詳しそうな人も意外といた...
うーーーーん..orz
皆さんもお試しあれ!!
※間違ってイイね!しないように!
これを使うためには、omiaiとかいう出会い系(?)アプリにイイね!をしないといけないようです。
もちろん、Facebookに慣れている人は、右側の広告面に友人が「いいね!」をしていますという宣伝があっても無視することでしょう。
でも、慣れていない人は思わずクリックしまうかもしれません。
そんな訳で、この手のアプリを使う時には、すぐにイイね!を外す(アプリページを表示して、イイね!を取り消す)ということや、場合によっては自分のウォールへの書き込みの際に公開範囲を自分のみにして内容を確認してから公開範囲を変えるといったことが大事なはずです。
逆に考えると、Facebookをしている人は、omiaiのFacebookページを開いてイイね!をしている友人をチェックすることで、「ワキの甘い」人を見つけることが出来るはずです。
と、思って見てみました...
意外といっぱいいた...
SNS詳しそうな人も意外といた...
うーーーーん..orz
皆さんもお試しあれ!!
※間違ってイイね!しないように!
posted by やまざきしんじ at 07:42| Comment(0)
| 日記
2013年12月25日
スープに浸された海苔を口に運んだ瞬間に、ブランドのあれこれが思い浮かんだ
昨日、昼食を食べるため近所の人気のラーメン屋さんに入ったら、ラーメンに分厚い大きな海苔が、スープにつかってました。この海苔って必要なんでしょうか?
別に海苔をスープに浸しても、何か特別な香りなども感じませんし、それほど美味しいものとも思えません。では、何故ラーメンに海苔がのっているのでしょうか?
これは幸いにもというか、何故か不思議なことにというか、外食産業の中で唯一ラーメン屋だけがブランドというものを意識しているためじゃないでしょうか?普通、中小企業や店舗はブランドなんていうものは一切考慮しません。
一方、ラーメン屋さんはこれでもかというほどブランド臭を出しています。社長のプロフィール、俺語りが店の中にあり、さらに材料や製法へのこだわりなどが店の中を埋め尽くしてます。ラーメン自体も、革新というよりも保守的なもの、懐古主義的なものでうめつくされています。根性論をベースにしたもの、和テイストのもの。そして、海苔もかなり日本的な食材ですよね。
これらは全てブランドという言葉に集約されそうです。店でなく、しばしば店長や従業員の考え方、そして商品自体でなく、商品の背景のストーリーが語られています。
この手法は、有用なはずなのに、何故かラーメン屋と一部の居酒屋でしか行われていません。
(居酒屋よりラーメン屋さんの方が、材料の品目数が少なくて消費者にわかりやすいので、こだわりを書きやすいですね)
店長のプロフィールや人柄を出す、材料や製法へのこだわりをアピールする、店員の声かけなどで、店の雰囲気を作り出すといったことは、別にどの業態でもできるはずです。
また、ラーメン屋にしろ居酒屋にしろ、和テイストのアピールしかないのはもったいないです。いや、むしろラーメン屋と居酒屋には和テイストのアピールというテンプレートがあるので、それを真似ているだけの店が多いということでしょうか。和アピールでなくとも、店長のプロフィールや製法・材料へのこだわりアピールといったものは出来るはずです。
たしかに、ダサさがオシャレといったイメージが和テイストにはあり、その点がラーメン屋や居酒屋が出来ている理由でしょう。たしかに、パスタソースの薀蓄とオシャレ感を両立させるのは難しいかもしれません。しかし、(飲食店での)ブランドで大事なのは、自分と商品、そして店舗を一貫させ、そのストーリーを語ることです。
では、どうやってこのようなストーリーを作るんでしょうか?
容易な方法としては、ストーリーとしてある要素を全て書き出して、そのうちの5つくらいの要素から1つのストーリーを作ってみて、その後で、再度、他の要素を組み合わせられるようにストーリーを修正していくというものです。このストーリーを何度も修正しながら、要素を増やしていくというのがオススメです。ただし、このようなブラッシュアップしていく方法は、最初に思いついたストーリーに影響をうけやすいので、こういったストーリー作成をゼロから何度かやって、しっくり来るストーリーを作らなければなりません。
ストーリーの具体的な作り方も大事なポイントですが、飲食店の多くまたそれ以外にもサービス提供者はブランドというものを再考してみるべきではないでしょうか?
そんなことを海苔を食べながら、ラーメン屋にあったこれでもかといったばかりの自己主張を見ながら考えました。ラーメン屋にはいろいろなヒントが隠されていますから。
posted by やまざきしんじ at 10:05| Comment(0)
| 日記
2013年11月18日
若いころの読書が人生を変える7つの理由
私達は多くのことを「読書」から学ぶことができます。一冊の本との出会いが、後の人生を大きく変えることもあります。
そんな私達が、「若いころに読書をしておくべき7つの理由」について考えてみましょう。
1.読書は世界を身近なものにしてくれる。
多くの人は半径10kmの世界に縛られているかもしれません。家庭、職場、学校、身の回りの友人からの情報に縛られてしまいます。読書はそんなあなたの視野を広げるのに最適です。サバンナの野生動物の生態から、恐竜の化石や、宇宙のはじまりまで、読書は様々なことを教えてくれます。
2.読書は他人とのコミュニケーションを教えてくれる。
人種、文化、宗教、言葉、多くの人は自分の枠の中に縛られています。読書をすることで、多用な価値観に触れることができます。単なる表面的なふれあいでなく、読書では深い部分まで著者の考えを知ることができ、それが人間としての奥行きを与え、多様性への敬意を育てます。
3.読書は謙虚にさせてくれる。
読書は世界が自分を中心に回っていないこと、自分がちっぽけなことを気づかせてくれます。若さゆえのプライドや自意識の高さを、読書は打ち砕いてくれます。多くの分野での様々な天才・異才の書を読むことは、知識を得るだけでなく、謙虚な気持ちで学ぶことの大切さを教えてくれます。
4.読書は挑戦をする力をくれる。
小説に限らず、ノンフィクションでも多くの人が様々な挑戦を行っています。読書で、それらを追体験することにより、実際に新しいことや大きなことへ挑戦する意欲を与えてくれます。
5.読書は世界の苦しみを共感させてくれる。
途上国について書かれたものを読むと、想像以上に「貧困・格差」が拡大していることに気づくはずです。紛争はあらゆる場所で起こり、悲惨な状況が生まれています。実際には危険すぎて行くことができない場所でも、読書ではそこからの生の情報を得ることが出来ます。
6.読書は勉強する意欲を与えてくれる。
学生時代あれほど嫌いだった勉強も、読書を通じて自然と「もっと知りたい」と思ったことがある人も多いはずです。読書は、それ自身が知識を得ることでもありながら、さらに多くのことを学ぼうというモチベーションの源泉でもあるのです。
7.未来は誰にも保証されていない
中には、仕事が落ち着いたり、年を取ってからゆっくりと読書を楽しみたいと思っている人もいるはずです。しかし、本当にその時にゆっくり読書できるという保証は誰にもありません。また、読書は、人格形成の助けにもなります。若いころの読書は、いつまでもあなたの中に残り続け、大きな影響を与えてくれるのです。
でも、読書の習慣なんてないし、と嘆く人もいるかもしれません。しかし、アメリカにはこんな言葉があります。
「今日という日は、残りの人生で最初の日である」
この記事は”若い頃の旅が人生を変えるかもしれない7つの理由”のパロディです。
posted by やまざきしんじ at 15:05| Comment(0)
| 日記
2013年11月17日
ハイパー消費者によるライブ 〜デンパヘモットを行ってみた!
友人の知人が主催者ということで(遠い?)昨日は、安城のデンパークで行われたデンパヘモットに行ってきました。
夜の野外ライブということでかなり寒かったです。マフラー+コート+タイツでも寒いくらい...幸い風邪は引きませんでしたが...
ちなみに、参加して思ったのは、もはやライブはアーティストが作るのではないということ。これはいろいろな分野で言われていることですが、以前は”歌手の歌”というコンテンツが主体だったのが、客サイドの消費が主体に変わってきたということです。
コンテンツ主体→コンテクスト主体へ価値が移ってきたというのはライブに限らず様々な分野で行われてきています。ビジネス書は、もはや内容よりも著者の肩書だけで売っています(そうでない上質なものも少しだけありますが..)商品を売る時も「良い物を作れば売れる」という考え方はもはや過去のもので、「売れる物が良い物」です。マーケティングといわれるものも発信者主導のものから、口コミやソーシャルメディアを主戦場に移しつつあり。ブログは、内容よりも煽りのタイトル勝負になったりしています。
さて、前振りだけで終わってしまうといけないので、昨日の感想に移りますが...
ともかく良かった!素晴らしい!!
デンパークのかなり広い会場の割に参加者はおそらく300人くらい。ちょっと寂しい感じでした....が、始まってしばらくするとちっともそんなことはありませんでした。100人くらいでヲタ芸をする人たち(かなり壮観)、そしてなんかライトを持ってグルグル走ってる人たち(よく分からんが凄い)
「絶対、この曲知らないでしょ...」といった曲でもみんなでぴょんぴょん飛んだり、みんな走ったり。特にUltraPrismは抜群にノセるのが上手いので、みんな楽しそうでした。
「ライブは歌関係ないんだな〜」というのは前から思ってましたが、昨日のイベントに関してはさらに「歌ってる人も関係ないんじゃないか」と強く思いました。ライブを聞いていると、他人のカバーで固有名詞間違ってるところもありましたが、そんなのちっとも関係なく参加者のほとんどは楽しんでいました。
「別に誰が出てきても勝手に楽しんでますから」という上級者の参加者が多かったのもあり、もしくはその参加者内に共有されているヲタ芸というコードがあったこともあります。
そのために提供されたコンテンツ以上のライブになっていたんじゃないかと思います。もはやポスト・ポストモダン構造(w
しかし、一方でそういったハイパー消費者によるライブでの限界も感じました。きっとこういった上級者限定のライブだと、主催者的に見ると大した人数を動員できないでしょう。(別に昨日のライブが上級者限定というわけではありませんが、消費のされ方は完全に上級者によるものだったと思います)
プロレスファンが興味のない団体の試合を楽しめないのと同様に、こういった消費者はニッチ化されてすぎていくので、コンテンツ→消費者に主体が移るのと同時に、どんどんとニッチ化されて分断されていき、動員数は稼げないので商業的な旨味は減っていくんだろうな〜、なんてことを思いました。
ともかく、ライブも面白かったのですが、ライブではしゃぐ観客を見るという貴重な体験が出来ただけでも良かったです。次回はぼくもライトを持って一緒にヲタ芸しよう!:->
夜の野外ライブということでかなり寒かったです。マフラー+コート+タイツでも寒いくらい...幸い風邪は引きませんでしたが...
ちなみに、参加して思ったのは、もはやライブはアーティストが作るのではないということ。これはいろいろな分野で言われていることですが、以前は”歌手の歌”というコンテンツが主体だったのが、客サイドの消費が主体に変わってきたということです。
コンテンツ主体→コンテクスト主体へ価値が移ってきたというのはライブに限らず様々な分野で行われてきています。ビジネス書は、もはや内容よりも著者の肩書だけで売っています(そうでない上質なものも少しだけありますが..)商品を売る時も「良い物を作れば売れる」という考え方はもはや過去のもので、「売れる物が良い物」です。マーケティングといわれるものも発信者主導のものから、口コミやソーシャルメディアを主戦場に移しつつあり。ブログは、内容よりも煽りのタイトル勝負になったりしています。
さて、前振りだけで終わってしまうといけないので、昨日の感想に移りますが...
ともかく良かった!素晴らしい!!
デンパークのかなり広い会場の割に参加者はおそらく300人くらい。ちょっと寂しい感じでした....が、始まってしばらくするとちっともそんなことはありませんでした。100人くらいでヲタ芸をする人たち(かなり壮観)、そしてなんかライトを持ってグルグル走ってる人たち(よく分からんが凄い)
「絶対、この曲知らないでしょ...」といった曲でもみんなでぴょんぴょん飛んだり、みんな走ったり。特にUltraPrismは抜群にノセるのが上手いので、みんな楽しそうでした。
「ライブは歌関係ないんだな〜」というのは前から思ってましたが、昨日のイベントに関してはさらに「歌ってる人も関係ないんじゃないか」と強く思いました。ライブを聞いていると、他人のカバーで固有名詞間違ってるところもありましたが、そんなのちっとも関係なく参加者のほとんどは楽しんでいました。
「別に誰が出てきても勝手に楽しんでますから」という上級者の参加者が多かったのもあり、もしくはその参加者内に共有されているヲタ芸というコードがあったこともあります。
そのために提供されたコンテンツ以上のライブになっていたんじゃないかと思います。もはやポスト・ポストモダン構造(w
しかし、一方でそういったハイパー消費者によるライブでの限界も感じました。きっとこういった上級者限定のライブだと、主催者的に見ると大した人数を動員できないでしょう。(別に昨日のライブが上級者限定というわけではありませんが、消費のされ方は完全に上級者によるものだったと思います)
プロレスファンが興味のない団体の試合を楽しめないのと同様に、こういった消費者はニッチ化されてすぎていくので、コンテンツ→消費者に主体が移るのと同時に、どんどんとニッチ化されて分断されていき、動員数は稼げないので商業的な旨味は減っていくんだろうな〜、なんてことを思いました。
ともかく、ライブも面白かったのですが、ライブではしゃぐ観客を見るという貴重な体験が出来ただけでも良かったです。次回はぼくもライトを持って一緒にヲタ芸しよう!:->
posted by やまざきしんじ at 10:17| Comment(0)
| 日記