数学の証明は、公理のトートロジーで意味がない気がするんだけど、どこに意味があるんだろう??というのを、ここしばらくずっと思ってました。
例えば、
x+y=1
x=3
の時、
y=-2を証明した。
とします。しかし、x+y=1とx=3を、y=-2というのは言い換えをしたに過ぎません。
そして、4色問題の証明にしろ、ポアンカレ予想の証明にしろ、最終的にはある数学体系での公理とのトートロジーにすぎません。(逆にトートロジーでなければ論理が飛躍してわけなので)
じゃあ、数学の証明って何なのでしょうか?
という疑問がここしばらくあったのですが、ちょうど現代思想のチューリング特集を読んでいて思いました。計算量のことを^^;;
よくよく考えたら、証明すること自体の計算量がP(多項式時間で表現可能な計算量クラス)のようなものでなければ(まぁPでもだけど)、その証明というトートロジーを検索すること自体に意味があるということですよね。さっぱり計算量のこと忘れてました。つまり、無限の空間(←ちょっとロマンチックだし、言い過ぎ)の中から、一つの道をみつけたということ自体に意味があるんですね。
ここしばらく、数学の証明のトートロジー問題(≒意味ないじゃーん)ということが、小骨がひっかかっているようなかんじだったのですが、意外とあっさり抜けてよかったです:->
2012年10月24日
証明だって意味がある!
posted by やまざきしんじ at 20:38| Comment(0)
| 日記
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