2012年10月24日

良いスピーチ


昨日、知人のパーティーに参加してきました。開会の挨拶の中で、ある漢字の成り立ちを説明しながらエールを送っていました。普段は、成り立ちの話とかあまり興味が無いのですが、昨日のスピーチは何故かかなり興味深く聞くことができました。これがなぜか考えてみました。


まず、私は語源についてたいして興味がありません。これは、言葉の意味が内包的なのか外延的なのか、という考え方に関係しています。内包的というのは、言霊(ことだま)信奉のようなもので、言葉の中に意味があるとする考え方です。語源が、現実の言葉に対して影響を持つという考え方は、言葉に意味が内包されているという考え方です。

一方で意味が外延的というのは、言葉には意味がなく、外に意味があるする考え方です。例えば”リンゴ”という言葉が林檎を指すのは、”リンゴ”という言葉が林檎を指すというようにみんなが使っているから、という考え方です。言葉の意味よりも、使用に注目する考え方です。


現在、言葉に意味が内包されていると考えている人はあまりいないですし、それを信じるのはあまりに直感的すぎると思います。しかし、「あなたの名前の漢字には、このような意味や伝統がある」という言葉には、一定の意味や価値を見出してしまいます。これは何でしょうか?

一つの答えは、自分に近いことには価値を置くということでしょうか?アフリカの内戦の戦死者よりも、自分の伯父さんが死んだ時の方がより悲しい気持ちになるし、ドイツの歴史よりも日本の歴史により興味を持つのは明らかではないでしょうか?これは心理的距離と言えます。心理的距離が近いものにはかなりの価値を置くのです。



また、自分に近いことだけでなく、漢字の成り立ちについてという話はストーリーになっていることもポイントです。これは、これまで意味がなかった漢字の見た目に、語源による別の見方のストーリーを付与するということでもあります。ストーリーがなかったところにストーリーを浮かび上がらせるというのは魅力的です。「他人にストーリーを食べさせる」ということを私は言いますが、まさになかったところからストーリーを食べさせられました。


良いスピーチのパターンというのが少し分かったと思いました。心理的距離と、ストーリーを浮かび上がらせることですね!


posted by やまざきしんじ at 10:55| Comment(0) | 日記
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