2011年08月01日

遊びと仕事について考えてみた その1


先日、ホイジンガのホモ・ルーデンスを読んでました。この本の感想自体はざっくりこっちに書いたのですが、これを読んでいて思ったことである”遊びというのは、目的を持たない”ということが気になりました。

この”目的を持たない”というのは、”〜のためにする”のではないということです。例えば、”ボール遊び”をするのは、”お金を稼ぐ”ためでも、”食糧を得る”ためでもないということです。”身体を鍛える”ためにスポーツをするというのはあると思いますが、それでもスポーツには”身体を鍛える”以外の部分があるわけです。この何のためでもないというのは、アリストテレス的にいえば、テロスがない、むしろそれ自身をテロスとした行為というべきでしょうか?つまり、自己目的的とでもいえばいいのでしょうか。

この自己目的的なことが遊びの特徴となります。もちろん、”上の身体を鍛えるためのスポーツ”のように多少は他の目的を含んでいるものもあると思います。


そして、仕事は”お金を稼ぐため”、”家を買うため”、”家族の生活のため”といった別の目的を持つために、遊びとは切り離されます。

それでは何故仕事はつまらないと感じるのでしょうか?ほっといても、土日に会社にいって仕事をずっとする人はほとんどいないと思います。少なくとも雇われサラリーマンの場合は、”締切に間に合わせるため”や”製品をもっとよくするため”に土日にサービス残業をすることはあるかもしれませんが、何もないのにするということはないんじゃないでしょうか?(そもそもサービス残業の是非とかはおいといたとして)


このことは、仕事をつまらなくさせないための手がかりになるんじゃないかと思っています。つまり、仕事と遊びを分けるのが、この自己目的性だとするならば、仕事を自己目的的にするというのが最大のポイントなんじゃないでしょうか?そういえば、何か作業をした時に他者から報酬をもらうと効率が落ちるという心理学の実験があったと思います。また、さんざん言われる例ですが、トム・ソーヤがペンキを壁に塗るのを楽しいといって、友達からお金をとってやらせたという話があったと思います。これらはどちらも自己目的的なのかということと絡んでいます。


それでは、仕事を自己目的的にするのはどうすればいいのでしょうか?特に、会社にいってしている仕事は、「それでお金をもらっている」ということを自分が知っているために、自分を無理矢理騙して、自分に「この仕事はお金のためでなく、自己目的としてしているんだ」と言い聞かせることは可能なんでしょうか?

これはとても難しいと思います。よく自分にひたすら言い聞かせるといったことを主張する人たちがいますが(仮にアファメーション派)、実際には現在の自分で何かを考えることで未来の自分が変わるというような同一の自己が変容するといったモデルで考えるよりも、現在の自己と未来の自己がある種の1回限りのゲームをしているというゲーム理論的なモデルと考えた方が妥当だと思います。


また、この自己目的的というのをよく考えると、心理学でいう内発的動機づけと外発的動機づけに近い概念です。しかし、ここで主張しているのは遊びという無目的的(”〜のため”に行わないこと)は、質的に”〜のために”行うこととは違うということです。いわば、内発的動機づけはやる気が正の方向(できればやりたい)であるのに対して、外発的動機づけはやる気が負の方向(できればやりたくない)に向かっているということなのです。

あれ?この考えは正しい気がしてきた…

(続く)
posted by やまざきしんじ at 06:38| Comment(0) | 日記
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