2011年03月01日

自己啓発への違和感は自分感で解釈できる?

自己啓発書を読んでそれをロールモデルに成功しようとするのは、「他人は他人、自分は自分」という自分感が薄いからというのを、「続々自閉っ子こういう風にできてます!」で読みました。たしかにこの自分感のなさからロールモデルを求めていると見ると、ぼくの自己啓発への違和感が納得いきます。

ちなみに、若い人の自己啓発好きは許容できますが、結構な年齢の人の場合だと「なんだかなー」と思うのも、この自分感のなさとそれに伴う”ロールモデルへの憧れ”だと解釈すると納得行きます。つまり、いい年してロールモデルに憧れてるんじゃないよ、と。


また、最近の自己啓発ブームについては、たまたまというのもありますが、社会が成功主義になってきたのも背景でしょうか。日本では経済がシュリンクしている(つまり成功しずらく、自分の両親のたどった道すら歩めない)一方で、グローバル化によって一部の大成功がしやすくなったために、多くの人が”宣伝される成功”と”以前当たり前とされていたものすら手に入らない自分”とのギャップの中でロールモデルを探しているのでしょうか?
posted by やまざきしんじ at 15:42| Comment(4) | 日記
この記事へのコメント
私は、社会的成功云々というよりももっと低次元の話で、自身の判断や行動に伴う責任からの回避である事が多いような気がしています。

社会的責任を負う事、もっと言ってしまえば、大人になる事への否定の感情が元にあり、可能性の"範囲"(質とかではなく)の拡大を求め続けようとする精神的な幼さではないか、と。
Posted by りべっと at 2011年03月02日 10:32
責任からの回避という視点は面白いですねー。

ただ、可能性の拡大(これは間違いないですよね?)がなぜ責任からの回避なのかというのがよく分かりませんでした^^;;

大人への否定感情が責任からの回避をするというのは分かります。でも、責任からの回避→可能性の拡大の間にはギャップがあるので、一つピースを埋めないといけないのかな、と思いました。


僕ならば、大人への否定→責任からの回避→現状の否定→可能性の世界への夢想 とか。あ、現状の否定が自分感のなさや、現実と理想とのギャップと見ると上で書いたことそのままなんですが...だめ?


上のストーリーはともかく、責任からの回避と可能性の拡大の間の一つ足りないピースが鍵でしょうか?
Posted by きるひゃー at 2011年03月02日 11:34
あ、すいません。

えっと、、、
幼少〜青年期ぐらい?まで残ってる全能感を否定したくないので、自身での決断や行動をしたくない、もしくは言い訳を作った上での仮介入しかしたくない。(決断や行動が、それ以外の可能性を捨てる事になるので)
要に、モラトリアムの延長という解釈です。
だから目的に沿った具体的な技術よりを学ぶよりも、いわゆる自己啓発系が好まれるのではないか、と。

ちなみに、社会的責任=義務を負うという意味合いではなく、立ち位置を明らかにした上で(自分の中だけも含む)の自分の決断や行動、その結果に責任を持つことの意味で考えてます。

でも、通勤合間の思いつきですので、検証とかは出来てないし仮説まがいなものと思っといて下さい^^;;;
Posted by りべっと at 2011年03月02日 23:47
あ、あと。。
会社内での義務的な意味合いでの責任に関しては、単なるモラトリアムと切り捨てるべきではなく、多元的な関わりを制限される事へのストレスを上の世代は理解出来てない面もあるとは思ってます。(一応念のため)
Posted by りべっと at 2011年03月02日 23:54
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