2011年02月16日

”説明”の問題

説明責任という言葉があります。説明責任というのは、「僕には責任がないよね」ということを明示するということでもあり、物事には説明責任と実利という二重性があります。会社などでは、実際にはAという選択肢がよい場合でも、説明責任上(つまりミスった時に、僕は悪くないと言いやすいために)Bという選択肢を取るということがよく見られます。むしろ役所やインフラ系企業ではBがデフォルトだったりして、無駄な構造になっていると思います。

この実利と説明責任のギャップが、雇われ社長の会社とオーナー社長の会社の差異であるとも言えます。もちろん、オーナー社長だからといって説明責任の全てから逃れられるわけではありませんが、雇われ社長と比べたら天地の差です。


一方で、説明責任という視点でなく、説明の明確さという点では、直観主義者に対する”説明の明確さ”という問題があります。某所で書いた男性脳・女性脳というのもそうですが、実際に大事なことは”男性脳・女性脳”という区別の厳密性を説明することなはずですが、一方”それっぽい画像”が2枚あって「こっちは男性、こっちは女性、色が違いますよねー」と言った方がより説明しているような印象を受けてしまいます。

そういえば、うちの母親に株や投資について話していた時も、結局、”確率的”、”おりこみずみ”、”サンクコスト”ということが理解してもらえず、「じゃあ、何をすれば確実に儲かるの?」という問いに答えられないので、テキトーなことをぬかす証券屋の思うままになってしまいました。「それはダメ」というのは答えられたのですが…一応、その後で、ある程度はインデックスファンドには移行させましたが。

少し視点が違いますが、youtubeでとあるビジネス作家のビデオを見ていたのですが、テキトーなことを言いまくっているんですが、話しぶりが全て断定。「これは、こう」と言い切ってくれるので非常に聞いていて安心感がありそうです。たしかに世の中には複雑なことを「これで大丈夫」とテキトーな言説をしまくっている人がいっぱいいます。ただのバカなのか悪意があってやっているのか悩ましいところですが、こういう説明の明確性がウケることは理解できます。

”真理と説明の明確さ”、”説明責任と実利”こういった対立はいろいろなところでありますねー。これで一冊本書けるんじゃない、と思った今日このごろでした^^;;
posted by やまざきしんじ at 18:25| Comment(2) | 日記
この記事へのコメント
説明責任以前に、日本って責任を理解出来てないんじゃないかな?って思ってます^^;

たしか、明治時代に作られた言葉なだけに、理解なしに誤用・悪用されてるのが現状ではないか、と。
更に元々あったの義務と恥も忘れてしまってたりするかも。。。
西洋思想に・日本の思想、どっちも正確に理解する必要に迫られてると思いつつ。。。

自由と責任(セット)は常に考え続けているテーマです^^;
Posted by りべっと at 2011年02月17日 00:26
責任についてはそうかもしれませんねー。誤用・悪用については、言葉の定義は”それっぽいことを言う”以外に意味がないと僕は思ってるのですが、自由と責任についてはおっしゃる通りかもしれません。

あ、ぼくの論点は、”説明”というものと”それ以外のもの”と二元性についてです。イメージでいうと、いろんなものの表面に”説明責任”(説明の明瞭さもこの一つ)というものが張り付いていて、裏にある真実が見えにくくなっているということです。

逆に(企業でも個人でも)競争においては、これが戦略オプションの一つとして取れる企業と取れない企業がある(=競争優位)と考えられるということですねー。

Posted by きるひゃー at 2011年02月17日 10:04
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。