2011年02月06日

リアルとリアルじゃない

”時間は実在するか”という本を読んでいると(まだ途中だけど)、そもそも実在(リアル)ってなんだ、という話になるわけです。

脳と心の問題についても、以前知人に「心は全て脳からきているから(←実際は脳だけではないですが、主に脳)、心という言い方は適切でない」といった旨のことを言われました。その時は、そもそも会話のレベルが違うので、脳という時と、心という時は言葉のレベルが違うわけです。将棋のルールから、将棋の定石が規定できないように(実際には将棋のルールを踏まえて何万回も将棋をすれば、将棋の定石ができるでしょうが)、脳という言葉で心が指すものを規定することはできません。


この問題がリアルかどうかの問題で、リアルでないもの(時間とか?)についても、”順序関係”という概念として捉えようが時間そのものとして捉えようがどっちでもいいのですが。実際の会話においては、それを別にいないと会話のレベルがおかしくなるわけです。そして、会話においては、必ずしも実在を必要としないわけです。あれ?これは指向性につながっていく話なのかな。。


posted by やまざきしんじ at 18:37| Comment(4) | 日記
この記事へのコメント
うーん、難しい〜。
単なる言葉の定義の問題とも思えるし、
それを決めている事象を捉えるときにどう認識して
いるか、というときにすでに決まってることもあるし。

この辺の話は、言語と深く関わっていると思うので、
日本語という言語を使用して考えるにあたっては、
英語とかの人たちと同じことをしていてはいけない
気がします。
だからなんだ、ってのは、ないけど。漠然でごめん。
Posted by SummeryColors at 2011年02月07日 00:36
もっとレベルの浅い話ですがー。

脳みその中にあるのは、“情報”のみである的ななにか・・・。
世の中に存在している全てのものは情報(データ)ということもできるとかなんとか。

とすると、“体験や経験”という、恐らくリアルな情報と言っても、他者との共有が無い状態であれば、実質的(リアル)に体験したことと、夢のようにバーチャル的な体験の差ってなんなんだろう?
とか考えられますよね。

論理的整合性?
Posted by しおじー at 2011年02月07日 11:33
SummeryColorsさん:
言葉の上での問題とも言えますが、概念の問題とも言えると思います。概念上のレベルの話なのかなー。個人的には英語でも日本語でもこのあたりの言語使用については差異を感じないですーp(^^;;

しおじーさん:
(リアルという言葉を”実在”という言葉として下は語っています:-)

”体験や経験”といったものがリアルかというと、リアルじゃないと思います。その瞬間の事象自体はリアルだけど、体験や経験はリアル(実在)じゃないような...

そうやって考えると経験とバーチャルの経験の差はないとも思えます。過去の経験ってのは、そもそも経験自体は瞬間ごとに消えていき、記憶になっていきますが、この記憶は経験とイコールでない(記憶は書き換えられる)ので、

・ある瞬間
リアルな事象 →(個人の主観)→ 経験や体験

・時間的な流れ
経験や体験+それまでの記憶→新しい記憶の生成

ということでしょうか。。

Posted by きるひゃー at 2011年02月07日 14:02
追記

今から過去をみた時に、

新しい記憶 → 経験や体験を切り離せるか?問題

経験や体験 → リアルな事象とバーチャルか判断できるか問題


というように、後ろから前を考えられるのかということがポイントと思ってます。

前から後ろを考えることと、後ろから前を考えることは別のことではないでしょうか?

そう考えると、ある体験とバーチャルに依存したある体験の差異は分からないかもしれない、と思ってます。
Posted by きるひゃー at 2011年02月07日 14:06
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