2010年03月04日

事前確率と事後確率と人生

ついたより
 
よく僕達は生まれてくるだけで奇跡。なぜなら、ここまでの両親が途切れずに続いてきたからというけど。事前確率と事後確率の問題なだけで。地球誕生からの確率で語るなら他にも様々な確率があっただろ、とか思う。個人的にはケイ素生物とかに生まれたかった。コウモリでもいいけど。
 
1000枚のカードから1枚引いたあとで「おー、ラッキー7。今日はいいことありますよー」というか、引く前に「7がでたらいいことありますよ」というかの差。宇宙なり地球のはじまりを視点にするとぼくが両親の子供の確率は奇跡でも、両親が結婚後ならそれほどでもない。
 
僕が「両親から生まれたのは奇跡」といってもみんな生まれてるので。よくあるポイントは地球誕生とか昔からみて今のようになるのは奇跡ですが、裏にも無限の確立がある、と。生きる意味や"癒し"のように難しいことにはこの"奇跡"は積極的に使ってもいいけど。実はあまり何も説明してないので注意と
 
たとえばビジネス書で、僕らはこんな奇跡のうちに生きている、だからやりたいことをやらなきゃ、という文面は注意、というかそういうレトリックに騙されちゃいけない。ただ、悩んでるひとには、あなたはこんな奇跡のうちにある、と内的な存在の確立につかうのは否定しませんが。
 
ってなことをアンチスピな私はよくおもうのです(^ ^) 人生の目的とか意味にはいいですが、ぼくにはこれはよくある、そして強力なレトリックにしか思えないのです。

存在の価値をそれまでの累積確率(?)のレアさに求めるなら無意味かもしれないが。そもそも別のところにあると思います

僕が、ぼくの両親の子供であることに意味がある、というのと。それがレアな事象だから意味がある、というのは違うと思うので。事象のレアさでなく、事象それ自体に意味を見出すべきかな、と。

実際にレアではない、のでそこを基盤に置かない方がいいのです。でも、一見それっぽいのでよく使われて強力なレトリックだと思いますが。そして他者に対しては、あなたはあなた自身で認めてます、ということかなと。


posted by やまざきしんじ at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ
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