2009年12月12日

断章

主に、ダニエル・デネットの「解明される意識」を読みながら。


結局、分からないを分からないままにしておく能力が大事で、ここに自分のコモンセンスを使うと問題の存在自体気づかない。でも、これはよく考えると当たり前すぎて語るほどのことでもなかった。うー

知人の例でいうと、認知ギャップゆえに問題自体についてまだよく考えられる前に解決ずみ、と考えてしまう。この罠は自分もきっとよくひっかかりがちなので注意ということ。読書モードでなく、会話モードが危険。脳のモードの問題??
ミームというモジュールでソフトを考える。バーチャルマシンのアナロジーは、読書会で話した記憶があるが、どこでだっけ?人間の脳は言語処理に特化してるが、ミームの処理も同様の方式だから?言語は、論理と対応してるという概念は論考の影響だから?言語処理に特化するプロセッサは?
もし、言語処理に特化したコンピューティングがあったら、ミームを受けられる?コンピューティングにおいて、相互学習って概念はどう?
たしかに発話行為を現象学的にみると、ピンカー的な思考言語の存在が示唆される。でも、どうやって思考言語が発達したのかは想像つかない。ピンカー的な進化心理学という線は除いて。
いわゆる思考言語は音韻ループがバッファとしてあり、音韻ループは発話時のバッファにも使われる。音韻ループにデータを持ってくるのが課題。歌詞を思い出すことから、ここにくるのはある明らかな命題でなく音ということもある?それとも音で、もうひとつ別のモジュールを考えるべき?
自分観察でわかったこと。いわゆる意識としては、音韻バッファとでもいうべきもの。ここには母国語が入って論理的に考えたりする。音楽も多分再生できるので、言葉以外もバッファには入りそう。
本を読んででいつのまにか、字だけ追うことがあるので音韻バッファ(ループと書くべき?)と見てるもものは独立のモジュールとみなすのが、妥当。また、次はこんなこと考えよう、と思うと、別のことが音韻バッファに入ってくるので、何か思考の複線というのが示唆される。
どうやって音韻バッファに言葉が来るかは不明だけど、プライミングを考えると、何か意味ネットワークと関係してそう。ちなみに、英語をそのまま読む(いちいち日本語に置き換えないで)ことにも、何かヒントがあるはず。 自分観察ではここまでしかわかんない。
音韻バッファは、ぼくの観察では2,3音節もしくは、1単語くらいが入る極短期の記憶を想定してました。視覚も聴覚も、このバッファとある種の連結はしてるけど。それ以上は言えないかな,と。自分観察で得た知見なので、脳に障害のある人との相対化しないと、本当のところは分からないでしょうけど。
視覚刺激も、聴覚刺激も、なんとなく見落とすとか、から返事、ということからも、何かがわかるのかな、と。ちなみに、観察者=被観察者なので、本当の仕組みというより,主観的な仕組みを探してるにすぎませんが。
 
クオリアに抵抗があるのはもじゃもじゃの影響もあるけど。右脳という言葉とどうように、そこで思考を停止する役割を持っているからかなー、と。複雑だからもうお終い、とそれっぽい用語を作っておいて、安心しようということかな?安心は少しちがうかー。
ついたを、他人との境界の曖昧さというキーワードか、だから密な結合を求めているという結論も、だから粗な結合でいいと思ってるという結論もだせる。社会現象から、心理を読み解くのは難しいし。結局、草食やらコンカツやらのようにファッションにすぎないきがする
解明される意識の、サールの中国語の部屋に対する話が非常にわかりやすい。520ぺーじあたり。やはり、思考実験は、その実現性(メモリや計算量など)を考慮しないと、前提自体ありえない、となりがち。
人間をタイプ分けするのも、自分が何者かを簡単に知ろうとするのも、どうかと思ってる。でも、しちゃうのはコミュニケーションのため?やっぱり不安だから?
マルチプルドラフトというのは、オーウェル型もしくはスターリン型の改ざんに対応してて、時間的なモデルにみえるが。むしろデカルト劇場的なら一軸でなく、パンデモニックなイメージということかな。時間的というより、編集者の問題つまり、wiki的編集モデルというのが適切なイメージのはず。
解明される意識のポイントは、デカルト劇場に対するマルチプルドラフトモデルと、前提から導かれるアンチクオリアの二点か。 一方で、サール的な指向性がクオリアとどう関わるかが気になりました。読まねば。そして考えよう。
posted by やまざきしんじ at 08:36| Comment(2) | TrackBack(0) | その他
この記事へのコメント
昨日はおつかれでしたー

>結局、分からないを分からないままにしておく能力が大事で

うんうん。
あと、分からないことを分からないと知る&認めるのも。
これも能力?自信のもんだいかなー。
ニ会に出ると、この辺の能力が鍛えられてとてもいい感じ。
嬉しいなあ(^_^)
Posted by SummeryColors at 2009年12月13日 23:57
おつかれさまでしたー。

分からないことを分からないと認める勇気がなかなかないのです...いつも言い聞かせてないとすぐ知ったかぶりしちゃいます -_-;;

そんな時は戒めてください _o_
Posted by きるひゃー at 2009年12月14日 22:13
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