ついたはブログに対する破壊的イノベーション(ユーザーの書き込みの導入コストを制度として下げた)だけど、当然ゴミだらけ。そうすると、結局はコミュニケーションツールとしか使えない?だとすると、夫婦喧嘩を実況するような用途は向いてそう。あとは多数の話題なのは重要というような
フォロー先を厳選するというけんですが。そもそも、ついた自体がブログより簡便であるということがポイントで。本来シグナル比を上げるにはrssリーダ駆使してもっとブログ読め、とかいうことな気がしてます。一方で、ついたのかきやすさという価値は
数自体を情報に変えるツールが整ったら価値がでてくると。要はまだ早いかな、と。ただここ半年くらいで参入者も多いので、じゃれあうツールにはいいかな、と(<皮肉とかでなく、コミュニケーションツールとしてアリ。いくつかの携帯キャリアがやろうとしてうまくいかなかった、なにやらの完成形)
きっと、その先にもっとシグナル比上げるには本を読め、というのと。では(コミュニケーションツールではない)見ず知らずの人のブログを読むのは価値がないの?、という質問への回答が必要になります。この回答は僕には、考えるため、という明確なものとしてあるわけなのです。
あれ、じゃあ、それはブログじゃなくてついたでいいじゃんと言われそうですが。ぼくにはこの文字数では思考の焦点として使うには絶対的な情報量が少ないと感じるのです。
僕はメディアもついたも初心者ですが。今の時点では、身内ないでの情報取得ツールとしては秀逸かと。ただ、絶対的な情報取得ツールとしては、情報も多いがノイズも激しいので、まだまだ。個人的にはライフロギングツールとしての力がかなり使えるかと。ニーズはわかりませんが。