2016年03月07日

文系と理系

いろいろな人に語ってますが、文系と理系という考え方がありますよねー。もちろん、こんな綺麗な区分けの意味はないと思ってます。

一般的には「数学や算数が得意かどうか」とか、「大学受験の受験科目」程度のことを語っているようです。

別の見方だと「小説を読むかどうか」や「情緒豊か」なのが文系で、「数学が得意」で「論理的思考が得意」なのが理系といった感じでしょうか。

もちろん、文系でも数学が得意な人もいます。うちの兄貴は某大学の文学部卒ですが、「偏微分くらいは解けるよ」と言ってましたし(←わたしは少しびっくりした)、わたしは工学部卒ですが小説や文系に区分けされる本を普通の人より3倍くらい読んでると思います。


さて、ここから本題ですが、一方で「文系」的な人に違和感を感じることがたまにあります。

どういうことかというと、私の考えている文系と理系の枠というのは、

世の中には真実や事実のような事柄がある

世の中には絶対に正しいことなんてない

という2つの考え方です。わたしは、前者を理系、後者を文系と考えています。
(後者はただの相対主義者だろというツッコミは、「その通りです」)

これは日本の文系教育、もしくは一部の文系の人たちの言説が原因だと思ってますが...


前者の「世の中には真実がある」ということからは、研究を続けて「正しいこと」(や理論)を発見していく。それを積み重ねるという科学的な方法への信頼があります。

一方で、後者は正しいものなんてない、ということです。「科学の理論は、絶対に正しいわけではない」ということをことさら主張するのですが、ここから「思いつき」と「検証してるけど、まだ反証されていない」に差がないという過激な主張になったりしがちです(シンクロニシティ主義者とか、「シンクロニシティがないなんて証明されてない」とか)

また、ここから、理系は「事実』について語り、文系は(事実なんてないので)「意見」について語るという区別が生まれます。


わたしは「事実」について語るべきで、事実はどうやっても事実だと思ってます。

一方、「意見」について語りはじめると、そこから「誰が語った」かがポイントになってくることが多いです。

わたしは「誰が言ったか」ということをなるべく軽視しようとしているのですが、逆に「誰が言ったか」が大事という考え方があります。

有名な人が断言してる、というのは、たしかに「わかりやすい」ですが、むしろ「どうしてそれが正しいか(少なくとも現時点では間違っていないか)」が分かることを重視すべきだと思ってます。

posted by やまざきしんじ at 10:16| Comment(0) | 俺ワード